【元近鉄】佐野慈紀の若い頃!中継ぎ初の年俸1億円投手!夏の甲子園では準優勝!

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佐野アイキャッチ画像

「ピッカリ投法」でおなじみの佐野慈紀さん。

この佐野慈紀投手は、近鉄時代に中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の年俸1億円投手になる活躍でチームを支えておられました。

そして、高校時代は名門松山商業で甲子園準優勝メンバーでもあります。

今回は、佐野慈紀投手の、その輝かしい球歴を辿ってみたいと思います。

最後まで、どうぞご覧ください!

目次

中継ぎで日本プロ野球史上初の年俸1億円投手!

佐野慈紀のプロフィール

名前佐野慈紀(さの・しげき)
本名佐野重樹(さの・しげき)
生年月日1968年4月30日
年齢55歳
出身地愛媛県松山市
身長175㎝
体重87㎏
投打右投右打
ドラフト1990年 近鉄3位指名
デビュー1991年4月9日 藤井寺球場
(対福岡ダイエー戦)
所属球団(日本)近鉄-大阪近鉄-中日-オリックス

1996年オフ、中継ぎ投手で日本プロ野球史上初の年俸1億円プレーヤーとなりました。

近鉄バファローズ 1990年度ドラフト3位指名!

1位寺前正雄投手北陽高
2位水口栄治内野手早稲田大
3位佐野重樹投手近大呉工学部
4位柴田佳主也投手阿部企業
5位伊藤栄祐投手愛工大名電高
6位宮下典明内野手新田高
前列右端が佐野投手
入団会見

背番号も37から14へ!球団の期待度がわかります!

通算10年で353試合登板、648.1回を投げ、41勝31敗27S、414奪三振、通算防御率3.80

初登板 :1991年4月 9日 8回表から 対福岡ダイエー(藤井寺球場) 2回2失点
初三振 :1991年4月 9日 8回表 打者岸川から
初勝利 :1991年5月25日 対福岡ダイエー(鹿児島県立鴨池球場)
初セーブ:1991年7月 6日 対オリックス(グリーンスタジアム神戸)
初先発 :1992年9月24日 対オリックス(グリーンスタジアム神戸)
初先発勝利:1997年8月14日 対オリックス(大阪ドーム)
初完投・初完封勝利:1999年7月7日 対福岡ダイエー(大阪ドーム)

当時は、中継ぎと言っても、今のように1イニングとかではなく、回跨ぎや連投も当たり前でしたので、フル回転で投手陣を支えていました。

夏の甲子園準優勝!

愛媛県立松山商業高等学校

1986年第68回全国高等学校野球選手権大会で準優勝!(背番号9で右翼手兼投手)
3回戦の明野高校戦、準決勝に浦和学院戦に2番手投手として出場。

明野高校戦で登板

決勝戦では、ブルペンで待機するも残念ながら登板はありませんでした。

準優勝のメダル授与
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